PLAY! #わたしらしく山を楽しむ

PLAY No,03

登山家見習い

Eko Noguchi

野口 絵子

18歳になったばかりの野口絵子(のぐちえこ)さんは現在、
ニュージーランドの全寮制高校に通っている。

 中学はイギリスにある日本の大学の中高一貫校だった。卒業すると、そのまま同系列の高校に進学する生徒がほとんどだが、絵子さんはその道から外れる決心をしたのだ。
「イギリスの学校はお父さんの母校だし、いろいろな魅力がありました。だけど私はせっかく外国にいるなら、もっとその国の文化に触れてみたいって思ったんです」
 そうして彼女は、現地の高校に進学することを望んだ。
「それでお父さんに相談したら、いろいろ考えてごらん、イギリスもいいけどカナダやニュージーランドも自然が豊かでいいよって。よく考えたら、私はニュージーランドって国の文化も食べ物も気候も何も知らない。それで、決めた!ニュージーランドにしよう! どうせだったら知らない所に行って、したことのない生活をしよう、って思ったんです」

 好奇心や行動力に素地があったとしても、そこに磨きをかけたのは間違いなく父親である登山家・野口 健だろう。
「子供の頃から山登りには連れて行かれていました。私が思い描いていたのは家族みんなで山に登って、お弁当を食べて写真を撮るようなピクニック。だけどお父さんが初めて連れて行ってくれたのは、冬の八ヶ岳なんですよ。寒さで手がかじかんで、もう辛くて辛くて。最初のうちは、登山はキライでした。だけど山に登ると周りの人たちが、絵子ちゃんえらかったね〜すごいね〜って褒めてくれて。それが嬉しくて山に行っていたんですよね」
 それと、と絵子さんは続ける。
「お父さんと山に行くのは楽しかったんですよ。お父さんはいっつも自分の失敗を話して、周りの人を大笑いさせていたんです。私は自分の失敗を人に話すのは恥ずかしいと思っていたんですけど、お父さんは、人生はネタになればいいって。たとえ失敗するようなことがあったとしても、大人になったらそれは全部笑い話になるからって。そういう山あり谷ありの人生のほうが、将来振り返った時に楽しいぞって。
 そのことは今でもよく考えます。ニュージーランドに留学を決めたときも、テレビのお仕事をするときも、私はいっつも不安でいっぱいなんです。挑戦するのも失敗するのも怖いです。だけど人生をギザギザにして、それを笑えるくらい強い気持ちで進んで、失敗してもお父さんみたいに明るく話せるようになりたいって思ってトライしています」

  • キリマンジャロ登頂
  • キリマンジャロ登頂
  • キリマンジャロ登頂
  • キリマンジャロ登頂

 2019年のことだ。中学を卒業した3月からニュージーランドの第4学期が始まる10月までの間で、絵子さんは大きな夢を叶えた。タンザニアのメルー山(4,562m)とキリマンジャロ(5,895m)に登頂したのだ。
「小学校5年生くらいだったかな。テレビで俳優さんがキリマンジャロに登っているのを見て、私もここに行きたいって思ったんです。それで、当時持っていたキッズ携帯でお父さんにキリマンジャロに行きたい、ってメールしました。ふだんメールなんてしないからお父さんも驚いて、そうか絵子はキリマンジャロに行きたいのか、って。ニコニコしていたけど、連れて行ってくれるのは相変わらず八ヶ岳ばっかり。それも、冬の縦走とか夏も天候の悪い日とか。ぜんぜんキリマンジャロに近づかないなーって思っていたら、中学3年の時にいきなりヒマラヤ行くぞ、って。卒業したら今度はネパールのポカルデ峰(5,806m)とゴーキョピーク(5,350m)に行って、マレーシアのキナバル山(4,095m)って続いて、とうとうキリマンジャロに行ったんですよ」
 しかし、キリマンジャロの登山は決して楽なものではなかった。
「夜中にベースキャンプを出発したときには満天の星空だったんです。だけど登るにつれて天候が悪くなってきて。風はゴーゴーすごいし、ガスで視界はきかないし。寒くて空気も薄くて、私はちょっとフラフラしてたんですよ。
 その時にお父さんが、登るか?やめるか?って聞いてきたんです。お父さんは昔から、していい無理としちゃいけない無理があるって言っていました。その間に明確な線があるわけじゃないから、判断はいつも難しいものになります。だけど、あの時の私は行けるって思って、お父さんにそう言いました」
 自分の夢を形にするためには、要所要所で的確な判断が必要になる。それを父は、長い登山歴を通して娘に伝えてきた。
「朝焼けがきれいだよって聞いていたキリマンジャロなのに、やっとたどり着いた頂上は真っ白なガスの中で視界は3mもないくらいでした。それでも私は登ったんだ、あのキリマンジャロにとうとう登ったんだって嬉しかったです。
 それで、降りてきて思ったんですよ。お父さんも17歳でキリマンジャロに登りました。だけど当時のお父さんは登山の知識も浅くて、無理して登ったからひどい高山病にかかってしまって、苦しみながらの登頂だったみたいなんです。きっとそういうこともあって、お父さんはメールをした日からずっと、私がキリマンジャロに安全に登れるように準備をしてくれてたんだな。練習をさせて、寒さや辛さを味わって、自分の限界を感じながら、していい無理としちゃいけない無理を見分けられるようにしてくれていたんだな。そしてたとえ失敗しても、それは笑えばいいんだよ、って言っていたんだなって。そういうことが全部わかった時に、なんか一本とられたな〜、野口 健ってやっぱすごいなーって思っちゃいました」

現在の絵子さんは最終学年を迎えて、寮のリーダーをつとめている。

「私が入学したときのリーダーが、すっごく素敵な女性だったんです。優しくて、下級生の面倒をみて、みんなに慕われている。あんな人になりたい、私も最終学年のときにはリーダーができるような人になりたいって思っていました」
 さらに陸上部員として活動しながら、大好きな演劇や写真撮影と、あらゆるものに果敢に、そして楽しそうにチャレンジしているのだ。
 無理と無茶を切り分けているなら、失敗してもいい。最初は誰だって周りから助けられることばかりだ。けれど、いつか自分が助ける側にまわればいい。山登りは楽しみであると同時に、演劇や写真と同じく、自分という人間を表現する方法だ。そうした考え方は間違いなく、彼女が登山の中で学び取ってきたものだ。そしてそれは吹雪の八ヶ岳に始まり、荒天のキリマンジャロに至る長い長い旅の中で、野口 健という登山家から学びとってきた。

 だから最後に聞いてみた。現在の肩書は “登山家見習い” とありますが、お父さんと同じような登山家を目指しますか?と。
「私は登山が好きです。けれど、たくさんの山を登って、いっぱい経験を積んできたわけではありません。まだまだ空っぽなんです。だからこそ、もっともっと山に登りたい。その意味では、これからも山に学びたいと思っている見習いです。
 でもその一方で、写真も好きだし演劇も楽しい。これから大学に進むつもりですが、どんな学校に行って何を勉強しようかと思うと、楽しみでしかないんです。やりたいこともいっぱいあるし、行きたいところもたくさんある。だから将来、登山を仕事にするかどうかはわからないです。でも、私が山から離れることはないような気がします」

それは人生を豊かにする手法を山に学んだ人が、 さらにドラマチックな生き方を求める答えとして、100点満点に思えた。

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